相談員が『鬼滅の刃』を通して語りたいこと19 ~対等な関係の中での意見表明~
今回は、第45話「鬼殺隊柱合裁判」と、第46話「お館様」の前半部分から。
場所は鬼殺隊本部。
鬼になった妹をかばい、ともに行動をしている炭治郎に対し、鬼殺隊としてあるまじきことだとして、柱たちが話をしています。
「柱」とは、「鬼殺隊の中で 最も位の高い 九名の剣士である」との説明があります。
「鬼殺隊を支えているのは柱たちだった」と。
以前書いた冨岡義勇さんや胡蝶しのぶさんも柱です。
ここでは、他の柱たちも描かれていますが、どの人も大変個性的で、見た目も考え方もさまざまなようです。
このときのセリフや行動などから、それぞれのキャラクターがある程度つかめると思いますので、興味のある方はぜひ原作をお読みください。
ただ、この場面を読んでいるときにはわたしには読み取れなかった、それぞれの事情や葛藤や思いがあることが、後々分かってきます。
それもまた、この作品の醍醐味です。
柱たちの話し合い(というにはあまりにも激しくシビアな展開でしたが)の途中、「お館様」がそこに現れます。
お館様については、ここでは文字での説明はありません。
ただ、彼が現れるとすぐに柱たちが一斉にひざまずく描写で、彼が大変尊敬され、信頼されていることが想像できます。
柱の一人がお館様にあいさつをするのですが、それを聞いていた炭治郎が「知性も理性も 全く無さそうだったのに すごいきちんと喋り出したぞ」と思うくらいの変貌ぶりです。
お館様は産屋敷耀哉(うぶやしきかがや)という人物で、産屋敷家の当主であり、鬼殺隊の当主でもあります。
後に語られる〝ある理由〟があり、産屋敷家の当主が、代々鬼殺隊当主を務めているのです。
お館様は、剣士たちを「こどもたち」と呼びます。
わたしははじめ、そのことが不思議でした。
なぜ産屋敷家のもとで命をかけて闘う人たちを、「こども」と呼ぶのか、と。
「こども」と呼ぶ存在に闘ってもらっているのか、と。
ですが後に、子どもはおとなが守るべき存在だという側面や価値観だけではない展開が待っています。
そこを読んだとき、自分の考え方が狭く甘かったのだと痛感しました。
現在の価値観だけで考えていたのかもしれません。
さて、そのお館様と柱たちの関係ですが、お館様の意見が絶対的なものと決まっているわけではないようです。
柱の一人が「この竈門炭治郎なる 鬼を連れた隊士について ご説明いただきたく存じますが よろしいでしょうか」とお館様に問いかけます。
それに対し、お館様は「そうだね 驚かせてしまってすまなかった」と言い、「炭治郎と禰豆子のことは 私が容認していた」「そして皆にも 認めてほしいと思っている」と言うのです。
自分がそう決めたから皆も従えというわけではありません。
このお館様の発言に対して、「承知しかねる」「反対する」と言う柱もいますし、「従います」と言う柱もいます。
そして「どちらでも」と言う柱もいるのでした。
そのような発言をまっすぐに言える関係性は素敵だなと思います。
お館様と柱たち、そして、柱同士の関係性。
そこには、人としての対等性があるように思えるのです。
賛同するときはそう言える。
反対のときにもそう言える。
また、どちらでもいいということも言える。
誰かが、「ハッキリしろ!」と詰め寄ることもない。
そして、言った内容によって、またはそれを言ったという事実によって、その人の立場が危うくなるわけでもないし、人間性や人格などが上下したり評価されたりするわけでもない。
そのような関係性がいいなと思ったのです。
現実のこの社会では、なかなかそのようにはなりません。
「こんなことを言うなんて!」と、その場で優位に立ちたい人によって、誰かが排除されてしまったり、不利な立場に置かれてしまったりすることもあります。
特にモラルハラスメントの加害者は、そのようにしてターゲットと決めた人に攻撃をしかけます。
そこには、対等な関係性などありません。
そもそも加害者は、自分はまわりの誰よりも断然上だと思っています。
そのような人が、まわりの人と対等な関係を作ろうとするはずはないのです。
ですからせめて、加害者以外の人たちは、対等な関係を作る努力をしていく必要があるのだと思っています。
そうあることを願っています。